本当は「横浜トリエンナーレ2008」に登場したゲイアートについて、どんどん書くつもりだったのだけれど、いまいち書けないでいるので、とりあえずお茶を濁す的な記事。
すいぶん前のことだけれど、海野弘の『ホモセクシュアルの世界史』が文庫化された。
単行本では持っているけれど、手軽な文庫本で出るとはちょっとだけビックリ☆
しかも、ちくま学芸文庫などではなく、より一般性の高い文春文庫からとは。
入江敦彦『ゲイ・マネーが英国経済を支える!?』の一般の新書での発刊にも驚いたけれど、これも中々…^^;
確か単行本で読んで、世界史というよりは人名の羅列に近くて、「どうも、食い足りんなあ」と思った記憶がある。著者がゲイじゃなくて、どうしても思い切った取捨選択が出来ていないところも、その一因かと思う。
ただし、英国の「ブルームズベリー・グループ」に一章を割いていて、そのあたりのセレクションのセンスだけは、悪くないと思った。
「ブルームズベリー・グループ」とその周辺、には、ゲイやレズビアン、バイセクシュアルが数多くいて、多くの才能を放出している。
まるで、ユダヤ人におけるノーベル賞受賞者輩出のように、20世紀初頭のイギリスの学芸にとっては、オリジナルな発想をするために「クィアであること」が必要不可欠のだったのだろうかな、と思うほどに。
『ダロウェイ夫人』のヴァージニア・ウルフ(『めぐりあう時間たち』のモデル)を筆頭に、マクロ経済学者のケインズ、『モーリス』『眺めの良い部屋』『ハワーズ・エンド』のフォースター、哲学者のバートランド・ラッセルとその弟子のヴィトゲンシュタイン、画家のドーラ・キャリントン(『キャリントン』のモデル)などが、メンバー及びその周辺ではつとに知られるゲイ・レズビアンたち。
こんな才能達が狭い集団内でしのぎを削っていたってのは、ほとんど奇跡みたいだ。
けれども、アート系の自分にとってはなんと言っても、美術評論家のクライヴ・ベルとロジャー・フライが重要だ。
僕は、美術における「モダニズム」と呼ばれる潮流と、それ以降が、本来の専門なのだけれど、このふたりはその「モダニズム」の始祖だといわれている。この理論は、ちょっと難しくなるので簡単に言うと、「印象中心の<情緒的、文学的>解釈を一切排除して、徹底的に純粋に作品の<造型性>に着眼した」精度の高い批評。
簡単に言えば、文学性とか演劇性とか音楽性とか、他分野でできることを美術に求めるのは不純なので、純粋な視覚的な美を追求すべし、ってことなんだけれど。
20世紀以降の近現代アートというのは、この造形性(=作品の視覚的フォーム)を追求した「モダニズム」と、そこから抜け出そうとする「脱モダニズム」の動向であると言っても過言ではない。
学部時の卒業論文は、戦後にその「脱モダニズム」を志向したジャスパー・ジョーンズという芸術家についてのものだったんだけれど、このアーティストも実は隠れゲイであった。
してみると、僕が好きで追求してきたあたりって、あとから振り返るとゲイだらけ、だったんだよね。
やっぱり共感するものって、どっかキャマっぽいところがあって、そうなっちゃうのかしらん。
レオナルドもカラヴァッジョも好きだったし。
すいぶん前のことだけれど、海野弘の『ホモセクシュアルの世界史』が文庫化された。
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単行本では持っているけれど、手軽な文庫本で出るとはちょっとだけビックリ☆
しかも、ちくま学芸文庫などではなく、より一般性の高い文春文庫からとは。
入江敦彦『ゲイ・マネーが英国経済を支える!?』の一般の新書での発刊にも驚いたけれど、これも中々…^^;
確か単行本で読んで、世界史というよりは人名の羅列に近くて、「どうも、食い足りんなあ」と思った記憶がある。著者がゲイじゃなくて、どうしても思い切った取捨選択が出来ていないところも、その一因かと思う。
ただし、英国の「ブルームズベリー・グループ」に一章を割いていて、そのあたりのセレクションのセンスだけは、悪くないと思った。
「ブルームズベリー・グループ」とその周辺、には、ゲイやレズビアン、バイセクシュアルが数多くいて、多くの才能を放出している。
まるで、ユダヤ人におけるノーベル賞受賞者輩出のように、20世紀初頭のイギリスの学芸にとっては、オリジナルな発想をするために「クィアであること」が必要不可欠のだったのだろうかな、と思うほどに。
『ダロウェイ夫人』のヴァージニア・ウルフ(『めぐりあう時間たち』のモデル)を筆頭に、マクロ経済学者のケインズ、『モーリス』『眺めの良い部屋』『ハワーズ・エンド』のフォースター、哲学者のバートランド・ラッセルとその弟子のヴィトゲンシュタイン、画家のドーラ・キャリントン(『キャリントン』のモデル)などが、メンバー及びその周辺ではつとに知られるゲイ・レズビアンたち。
こんな才能達が狭い集団内でしのぎを削っていたってのは、ほとんど奇跡みたいだ。
けれども、アート系の自分にとってはなんと言っても、美術評論家のクライヴ・ベルとロジャー・フライが重要だ。
僕は、美術における「モダニズム」と呼ばれる潮流と、それ以降が、本来の専門なのだけれど、このふたりはその「モダニズム」の始祖だといわれている。この理論は、ちょっと難しくなるので簡単に言うと、「印象中心の<情緒的、文学的>解釈を一切排除して、徹底的に純粋に作品の<造型性>に着眼した」精度の高い批評。
簡単に言えば、文学性とか演劇性とか音楽性とか、他分野でできることを美術に求めるのは不純なので、純粋な視覚的な美を追求すべし、ってことなんだけれど。
20世紀以降の近現代アートというのは、この造形性(=作品の視覚的フォーム)を追求した「モダニズム」と、そこから抜け出そうとする「脱モダニズム」の動向であると言っても過言ではない。
学部時の卒業論文は、戦後にその「脱モダニズム」を志向したジャスパー・ジョーンズという芸術家についてのものだったんだけれど、このアーティストも実は隠れゲイであった。
してみると、僕が好きで追求してきたあたりって、あとから振り返るとゲイだらけ、だったんだよね。
やっぱり共感するものって、どっかキャマっぽいところがあって、そうなっちゃうのかしらん。
レオナルドもカラヴァッジョも好きだったし。
2008/11/14(金) | アート | トラックバック(0) | コメント(2)




